コミュ障がノルウェーに留学する
アトラスの湖。

モロッコの旅はまだまだ続きます。
実を言うとこの国の美しい自然は砂漠だけではありません。
ビーチもあるし、深い森もあるし、大きな山脈もあります。(冬にはスキーだってできます)

せっかくの機会だし、
今回は思いっきり街の喧騒から離れてみようじゃないか!と
ツアー仲間と一緒に砂漠の次にはアトラス山脈に登って参りました。
もちろん登ったのは私でなくタクシーですが。

「アッラー」の装飾文字。このセンス好きだなあ。

以前も書きましたが
アトラスを登る道は基本的にガードレールが無く、
(あってもベコベコで簡単に乗り越えられそうなやつ)
道自体も細くてくねくねしていて更には所々崩れている(!)のですが
そんな条件下でも運転手さんは容赦なくドリフトかましてくれます。

言うまでもなく、落ちたら確実に死ぬ高さです。

怖くて下にレンズを向けられない

「私高所恐怖症だったなあ。」
気付くときにはいつも時既に遅し。

結局、ベテランの運転手さんは車を危険に晒すこともなく
乗客たちを無事目的地の街・イミルシルまで運んでくれたのでした。いやあ尊敬。

ここは街のちょっと手前。休憩時間。

さすが?アフリカ。どこに行ってもサッカーしている。

部屋からの景色。

ホテルに荷物を置き、この街一番の目玉、湖を見に行きます。
結局名前はわからなかったのですが…この街の近く(アフリカでいう近く)には
一組の対になる湖があって、私達はそのうちひとつを散歩がてら見て来ました。


散歩というか…ひたすら1時間、なにもない道を歩くと。


少し開けたところに、それはありました。

きれいな糸蜻蛉も

砂漠と同じで、環境音がやけに少ない場所。

先ほど湖は対になっていると書きましたが
こちらの湖は女性を表していて、もうひとつは男性を表しているんだそう。
わかりやすいですね。


「あんな形の山、日本にもあったよね」
浅間山かな…?いや、多分富士山のことだろうな。色は全く違うけれど。笑

大きな角砂糖をドボドボ放り込んだ
モロッコのあまったるーいお茶を飲みながら
贅沢に波打際の時間を浪費する私達なのでした。

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サハラに行って来ました。

よく見ると両の目の色が違う。おはよう。

シャウエンにさよならを告げ、私は再びバスに乗り込みました。
次の行き先は、おまちかね、砂漠です。
現地のガイドさんと値段交渉に成功し、
他の旅行者さん2人と一緒にツアーに参加させてもらうことに。

いやあ、ここから長かった。

バスと乗り合いタクシーを乗り継いで10時間。
さらにそこから専用車で砂漠の最寄りのホテルまで運んでもらいます。
なんて過酷!とこのときは思ったものの、
その先一週間も結局似たような長距離移動を繰り返すことになるのでした。
アフリカは広いのです。

「ねえモハメド、次の街までどれくらいだっけ」
「たったの200kmだよー」

アフリカは…広いのです…

狭い車にぎゅうぎゅう詰め。そのうち慣れました。

恐ろしいことに洗濯物を干したら40分で乾く。

シャウエンを後にして実に17時間。
なんとか昼過ぎにホテルにたどり着き、おのおのベッドにへたりこみました。
砂漠に実際に向かうのは夕方です。それまで一時の休息。
草壁の、風通しの良いホテル、というか宿泊所でした。日光すごかったなあ。

もう砂丘は目の前。

最高にクレイジーな野郎でした。好きよ。

仮眠をとって、らくださんの準備ができたところで、出発。
私の乗ったらくださん、とってもマイペースでなんだか気が合いそうでした。

「識別ピアスかゆいんですけど。」
「そのパンちょうだいってば。」
「平たい顔族なんて。」
「今はこっち行く気分じゃない。」
「あそこゴールじゃああああん(急に駆け出す)」


なかなか、ハラハラしたよ。

クレイジーならくださんに揺られて2時間。
最後の砂丘だけはみんな自分の足でてっぺんまで登って、
お尻を並べて夕日が沈むのを眺めていました。

環境音が無いに等しいので、
遠くの街のモスクから祈りの時を知らせるチャイムが鳴り響きます。


なにもない。

安い夜行バスじゃ眠れるはずもなく、
全身が痛くって、瞼は閉じかけて、
もう今にも倒れそうだったけど

「来てよかったなあ。」

とだけ思ったのを覚えています。



さらさらと風が砂を運ぶ中
みんなでタジン鍋を作って、
近くの集落におすそわけして、
それでも食べきれない分は猫にあげて、

砂漠の夜は永遠かと思われた時間の中に沈んで行きました。

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シャウエンという街について。

二週間以上時間を遡って。
モロッコの青い街、シャウエンについて書きましょう。



スペインから船でモロッコに渡った私は
まずは港町タンジールに一泊。
画家マティスが愛した、エネルギッシュな土地でした。

お世話になった民宿のおばあちゃんに別れを告げ、
そこから安い民営バスに揺られること3時間。

窓の外にはずっと、溜息の漏れるような景色が続きます。

モロッコには大まかに
元国営(現民営)バス・国営バス・民営バスの三種類があって
前のふたつはサービスがよいのですが
私は冷房とスピードを諦めて半額の民営に乗り込みました。
おかげさまで3時間乗っても400円ほど。(!)

しょっちゅう地元の人がバス停もないところで乗り込んでくるので
停車する回数は多かったですが、写真が撮りたい私としてはむしろ好都合なのでした。

運転手のおっちゃんがかけるベルベル音楽をぼーっと聞いているうちに到着。

どっちを向いても青。想像した以上に青。

これはまた非日常的な風景…
噂には聞いていたけれどここまで青いとは。

この街がペンキで塗られたのは1930年代。

虫よけなどの理由もあるそうですが、
イスラエル建国までこの地に住んでいたユダヤ教徒が
家々の壁を塗ったのがはじまりだそうです。


なぜユダヤ教徒?なぜ青?

その昔、レコンキスタでスペインを追い出された
ムスリムとユダヤ教徒達がこの地に移り住んだのだそうです。
レコンキスタ終了が1492年だから…
ユダヤの人達はおおまかに450年間ここに住んでいたのかしら。

色については、正確には青だけではなく「青と白」です。
イスラエルの国旗もこの2色ですよね。
青は空、白は清浄などを表していて、それぞれ高貴な色なんだそう。

その後イスラエル建国とともに彼らは去って行きましたが、
残ったムスリム達が今も習慣を引き継いで壁を塗り続けています。
宗教の異なる彼らですが、どういう経緯で習慣を続けるに至ったのか…
今の住民に聞いてみても「さあ」としか答えてくれませんでした。

君はこの街のどんな歴史を見てきたんだい。

今は「青い街!」と注目が集まって観光地として発展しているみたいですが
少し迷えばやっぱりただの住宅街。

元々は何の変哲もない、静かな山奥の街だったんでしょうね。

娯楽が少なかったのか、麻薬が手に入りやすいことでも有名だったりします。
「何を吸いに来たんだい?タバコ?ハシシ(マリファナ)?」と聞かれることもしばしば。
それ目当ての観光客がきっと多いんでしょうね。まったく。

一歩裏に入れば静かな、静かな場所でした。


最後に

多分、現在この街が抱えている問題は浅くはありません。
日本語でも英語でもきちんとした情報を見つけられていないのですが
宿のドミトリーで一緒だったジャーナリストが
「はやく取材から解放されたい。」と掠れた声で言っていたことを思い出します。

「ここの女の子達は、本当に沢山働くのよ。」

シャウエンを離れたのち、
この街の状況について色んな人に聞いてみたのですが
「あれでも随分マシになった」とのことでした。

どちらの言葉も本音で間違ってはいないのでしょう。

5年後、折り鶴を贈った子供達に確かな未来があることを、
今は祈るしかない21歳でした。

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